源氏物語は、11世紀初期(平安時代)に執筆された作品です。この時代の日本では、主に漢字が使われていましたが、この頃から現代のひらがなにあたる「かな文字」を使った作品が増えてきたようです。源氏物語は、有名な古典文学として日本の高校の教科書に載ることも多い作品で、いまでも研究が進んでいます。今回は、源氏物語のあらすじ・舞台・作者についてご紹介します。
源氏物語とは?
紫式部によって書かれた源氏物語は、平安時代の宮中が主な舞台です。全54章からなる長編で、その登場人物の多さや人間関係の複雑さから、現代の日本人でも理解するのが難しい部分が多々あります。まずは、序盤で描かれる源氏の生い立ちを整理してみましょう。
源氏の生まれ
物語の主要人物である源氏は、桐壺帝を父に持つ第二皇子でした。母は桐壺更衣です。桐壺更衣は身分が低かったのですが、桐壺帝からの寵愛を一心に受けていました。そんな桐壺更衣に他の女御(身分の高い女官)が深く嫉妬し、桐壺更衣はあまりのつらさから病気がちになってしまいます。そしてついに源氏が3歳の時、桐壺更衣は亡くなってしまうのです。こうして早くに母を亡くした源氏ですが、母親の存在は源氏の人生に非常に大きな影響を与えることとなります。
源氏が愛した女性
源氏物語の特徴の一つに、源氏の幅広い女性関係が挙げられます。中でも特徴的なのは、母の面影を感じて心惹かれた藤壺、若紫との関係です。
まず藤壺との関係です。藤壺は、桐壺更衣を亡くなった後に宮中に迎えられました。そのため藤壺は源氏の継母にあたるのですが、藤壺の顔立ちが桐壺更衣に似ていたために、源氏は藤壺を慕うようになります。藤壺もそれを受け入れ、なんと二人の間には子ができました。
つまり源氏は、自分の父親から寵愛を傾けていた藤壺と深い関係となり、結果的に継母との間に子を授かったのです。
次に若紫との関係です。源氏と若紫の出会いは若紫がまだ幼い頃でしたが、源氏は若紫にも母親の影を見出しました。驚くことに、若紫は藤壺の兄の娘だったのです。源氏は幼い若紫を引き取り、自分の手元において育てることにしました。
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作品を貫く無常観
源氏物語は大きく三部に分けて考えられる場合が多くあります。第一部では華やかな源氏の半生が描かれる一方、第二部では源氏の没落が中心になります。そして第三部では、源氏亡き後の子や孫の話が展開されます。
源氏物語は物語全体を通して、源氏の栄枯盛衰が描かれています。さらに、源氏をはじめ様々な人間関係や不条理に翻弄される人々が登場します。生や愛についての彼らの苦悩には時代を超える普遍性があるようです。これが、源氏物語が今もなお世界で読まれる理由の一つかもしれません。
貴族が住んだ寝殿造
源氏物語の舞台である平安時代に貴族が住んでいたのは、寝殿造と呼ばれる建築様式の建物でした。寝殿造の特徴は、外塀と、庭を囲うように建てられた建物によって作られた二重構造です。源氏物語に描かれていた邸宅二条院も、典型的な寝殿造だったようです。
寝殿造のもう一つの特徴として、「対」(tsui)と呼ばれる建物や庭がありました。北にある対は「北対」(kita-tsui)と呼ぶなどしていたそうです。方角を名づけに使う習慣があったのでしょうか。そこでは、貴族たちが生活したり儀式を行ったりしていたと言われています。貴族たちの生活場所は寝殿造の中に複数あり、身分などによって決まっていました。
源氏が生まれた邸宅では、身分の低い女性は帝から遠い部屋に住まうことになっていたようです。桐壺更衣は彼女のその身分のせいで遠い部屋に住んでいたために、帝に呼ばれると他の女御の部屋の前を通る必要がありました。この点も、女御が桐壺更衣に嫌がらせをする口実になってしまったと考えられています。
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宮中に仕えた源氏物語の作者紫式部
紫式部は漢詩人の父を持ち、幼いころより文学に親しんできたと考えられます。彼女は幼少より和歌をたしなむ才女として知られていました。そんな彼女の教養が、娘の彰子(一条天皇のお后)につける家庭教師を探していた貴族、藤原道長の目に留まったのです。
紫式部は、藤原道長の要請によって宮中入りすることになりました。彰子に仕えている間に紫式部が執筆したのが『源氏物語』です。さらに彰子が皇子を出産した後には『紫式部日記』を書くなど、文学に生きた女性と言えるでしょう。
紫式部と清少納言との関係
紫式部が『紫式部日記』で、清少納言のことを「彼女は得意げに漢字を書いているけれども不十分な点が多々ある」などと批判したことも、有名なエピソードです。このようなエピソードから生まれたのが、紫式部と清少納言(『枕草子』作者)との不仲説です。
清少納言も、宮中で藤原定子(一条天皇のお后)に仕えていました。ただ、紫式部と清少納言は宮中にいた時期がずれているので、直接対立した事実はないのではないか、とする見方もあります。紫式部は、清少納言の評判が良いことにプライドが傷ついたために、彼女を批判したのではないかという説が一般的なようです。
源氏物語のあらすじ・舞台・作者についてご紹介しました。源氏物語は訳本も多数出ているようですので、ぜひ手に取ってみてくださいね。
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